隠れ河原のかりん糖 豆知識 その⑮ 〜 祝 沖縄黒糖・誕生から400年!〜
- 2023年06月08日
- かりん糖辞典, 公式通販サイトの新着情報
こんにちは!!
今月、最新2023年6月~10月夏秋号のカタログが配布開始されました!
アンソニーズポップコーンのバナナが新登場♪
他にも夏にピッタリのゼリーギフトや夏季限定かりんとうなどオススメ情報満載です^ ^
そして!今回は隠れ河原のかりん糖豆知識第十五弾!
今年は沖縄黒糖400年の記念の年!ということで、沖縄黒糖誕生に関するお話です(⌒▽⌒)
祝 沖縄黒糖・誕生から400年!
砂糖(黒糖)が日本で初めて製造されたのは、1610年。前年に、奄美大島出身の直川智(スナオカワチ)が、朝貢使のお供で琉球(沖縄県)へ渡航途中、台風に遭い、明(中国)の福建地方に漂流し、そこでサトウキビの栽培と製糖方法を習得し、奄美大島に苗を持ち帰った事がきっかけであるとされています。(諸説あり)
それに続くように、琉球では儀間真常(ギマシンジョウ)が1623年に製糖を始めたとされています。真常は1557年、真和志間切垣花村(マワシマギリカキノハナムラ)に生まれました。このころの琉球は、台風や干ばつの影響で、食糧不足に悩まされていた為、(真常は)小さい頃から「みんなの暮らしを楽にしてあげたい」と思っていたそうです。
39歳の時、琉球王国の使者として明に渡った真常は、広い土地に青々と育っている農作物を見て驚きました。その頃琉球は江戸幕府薩摩藩の支配下にあり、明との行き来を制限され、取れた作物を年貢として納めなければならなくなっていた為、人々の暮らしは相変わらず苦しいものだったのです。そこで、何とかしなくてはと目をつけたのがサトウキビでした。琉球ではサトウキビは栽培されていましたが、甘い汁が食されていただけで、製糖方法は誰も知りません。黒糖が薩摩で高く売れているという噂を聞いた真常は、製糖方法を学ばせるため二人の若者を明に渡らせ、彼らが帰ってくると、自分の家の庭の砂糖小屋で黒糖を作り(1623年)、やがて国中に広めていきました。それから400年たった今、サトウキビの栽培は沖縄の中心的な産業になり、黒糖は沖縄の特産物として多くの人々に親しまれているのです!
※沖縄県黒砂糖協同組合・沖縄県立総合教育センター・独立法人農畜産業振興機構 HP等 参考
★こちらの記事は弊社カタログ2023年夏秋号に掲載しております。隠れ河原のかりん糖豆知識随時更新予定です!お楽しみに(^∇^)
カタログご希望の方は各直営店、もしくは通販フリーダイヤルまでお問い合わせください。
通販ご注文お電話窓口:0120-954-700 〈受付時間 9:00~17:00(土日祝日定休日)〉